「セッション!」に纏わる菊池さんと町山さんの評論合戦(?)について

町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意) - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

 

菊池さんの映画「セッション!」評に端を発するこのやりとり。

長文ですが読む価値は十分にあると思います。

(3行にまとめてとかナメたブコメも散見されますが、読めばこれが3行にまとめられるような内容じゃない、言うなれば1時間の DJ Mix を3分にしてと言ってるのと同じレベルだということは分かるし、この程度の文章読めねえなら「とりあえず何か一言」言ってやろうとかゲスいいっちょかみ精神発揮すんなやと思いました)

 

町山さんはかつて権威に反逆しパイ投げする立場だったはずが、いつのまにか権威側になってきてない?感は確かに感じます。それは本人の意図とは別に、ネット上で過剰に神格化する外野の存在も大きい気がする。(そこがまさに菊池さんの言う「インターネットは無料の強烈なドラッグ」であり有害である点でもあろうか)

 

かつては紙の雑誌というものにとても権威があって、ウェブ媒体に書き散らされている文章なんて便所のラクガキ、という感じでしたが、正直その構造も崩れかかってて、紙の雑誌は続々休刊、もはや死にかけという状態でして、そういう状況も、町山さんの (もしかすると本人の意図とはかけ離れた) 権威化というものに一役買っている気がしなくもありません。キネ旬みたいな権威が、時代の変遷によって弱って行っちゃって、一方、ネット上で町山さん支持が多く、相対的に上がってきたというか。

 

実際に、菊池さんのもとに

 

以下、恥ずかしながらどんだけワタシに力が無いか披露させて頂きますれば、ワタシは、メールで直接「宇多丸さんの批評にお前なんか叶わない」「お前が1人で興奮して褒めてる<バードマン>だけど、「映画秘宝」じゃ、微妙扱いだぜ」と、知りもしない方から通達され(笑)、そして何せ「町山さんと言ってる事が違う(=だからお前は間違っている)」といったオッソろしい宣告まで受けまして(笑)同じTBSラジオで番組を持っている、同じラッパーである(ワタシは遥か後輩ですが)宇多丸氏とは、大変な支持量の差をあらゆる角度から嫌というほど知らしめられながら日々暮らしております(笑)

 

みたいのが来てるというの、映画秘宝が、ある時期から逆に一部では権威化し始めるという構図、秘宝がダメだって言ったからこの映画はダメ映画みたいな、結局それ自分の中に価値や判断の基準がなくて、外部の意見を自分の意見のように言ってるだけ、キネ旬のランキングに載ってる映画を無条件にいい映画と考えてるのと何も変わらんぜという。

こういうアホな外野が増えた結果、いつのまにか (特にウェブ上において) 権威化してしまったのかなっていう感じがあります。

 

ちなみに僕もかつては映画秘宝の熱心な読者で、「世間一般ではあまり評価されてないけど、この映画だってすげえおもしれえんだぜ!」という情報を与えてくれる存在、映画ライフのよきガイドブックでした。

この、「別の視点を提供してくれる」というところが大事なわけでありまして、まあ、底抜け映画とか、基本的に映画に愛を持ったうえで、色々頑張ったけど結果として底が抜けてしまった映画を愛を持って笑う (ゲームで言えばクソゲー愛好と同じ) というのは悪趣味ではあるけれど面白かったですが、その映画愛を持っての部分を忘れて、これは秘宝がワースト映画に上げてたからクソ映画ってしちゃうとそれは間違ってますよねという話でして。

なぜ読まなくなったかというと、社会人になって映画を見る時間が激減し、実際の映画は全然見に行けてないのに映画秘宝で映画についての情報ばっか入ってくるという状況が悲しくなって徐々に読まなくなったのでした。別に、面白くなくなったからとか、権威化に嫌気がさして、というわけではありません。

 

結局のところ一番いやなのは、こういう風に「批評」だけが盛り上がって、結局映画は誰も見てませんというのが最も不幸な形かと思いますので、見た結果が酷評であれ、映画を見る、見られるというのはうらやましいなあと思う次第であります。

本当であれば、おれだってこうやって批評合戦についてブコメつけたりブログ書いてるよりは、映画を見に行きたいんスよ!!(別に菊池さんや町山さんが暇人だと言っているわけではないので、念のため。)

だから時間に余裕のある若者とかはネットで「やー炎上だー」とかニヤニヤしてないで、映画を見に行ってはどうかな。それか、おれの代わりに毎日23時くらいまで仕事をして、土日は全力で家族サービスしてくれるならその間に僕が映画を見に行きたいです!をはり!