シェンムー3に対する期待

Shenmue 3 by Ys Net — Kickstarter

 

今回のE3プレカンファレンスにおいて、あの伝説のゲーム「シェンムー」の続編が突然発表され、しかもキックスターターでの資金調達を行うということでここ数日非常に話題になりました。

僕もすぐさま $29 バックしたんですが、あれよあれよというまに増えていき、なんと一日どころかおよそ8時間でゴールの200万ドルを集め、今現在はストレッチゴールを次々クリアして行っている状態です。

 

が、一部で、「開発費200万ドル」で足りるのか?というコメントもちらほら。日本円にして約2.5億円、初代シェンムーが50億~70億の開発費、IIが20億だったというのと比べると、確かに少ない!

 

ゲーム史的に見て、今現在大隆盛の「オープンワールド」のはしりというか開祖というか、今へ至る流れの源泉を作ったのは確かにシェンムーだったと思いますので、みなさん3にもその「壮大なオープンワールドシステム」を期待しているのかもしれません。

 

シェンムーが当時どれだけ新しかったのかはGAME・SCOPE・SIZEさんの下記のエントリを読むととてもよくわかると思います。

 

「偉大なる大失敗作」シェンムー・現代の「GTAシリーズ」「マスエフェクト」「スカイリム」などからの再評価: GAME・SCOPE・SIZE

 

ただですね、同じく E3 プレカンファレンスで発表された Fallout4 とか見るに、そもそも予算規模以前に、ここまであらゆる要素を詰め込んだオープンワールドゲーム作れるのって、もはやベセスダとかUBIとかの海外の大規模スタジオしかない気がするんですよね。

少なくともこのレベルのオープンワールド系ゲームが日本のスタジオから出ているのをおれは知らない。(龍が如くシリーズは未プレイなんですが)

 

マップを広くしたりだとか、ありとあらゆるコンストラクション要素を詰め込んだりとか、そういう方向性より、マップはそんなに広くなくてもいいから、初代みたいに部屋の電気付けたり消したりできるとか、タンス開けたり閉めたりできるとか、なんかそういう、ゲーム的にもストーリー的にも意味はないんだけど、ああ確かに世界がそこにあるのだなという奇妙な現実感を感じさせてくれる、そういう方面での世界とのインタラクションの密度を高める方向で頑張ってほしいなとか思います。

 

なんというか、オープンワールドじゃなくても、最近のタイトルは背景も非常に丁寧に作り込まれていて見た目は美しいんだけど、そこに何らかのインタラクトできる要素がないと、単に流れていく書き割りがリッチになっただけで、とってもさびしいんですよね。

バイオハザード1や2では、背景の色んなところに「調べると説明やキャラクターの感想が出るポイント」があって、直接に語られるストーリーとは別に、そういうリアクションがあることで没入間が高まるというか、よりその世界を感じることができたわけです。

あるいは、バイオ4のように、同じ本棚を調べてもレオンは「難しそうな本だ俺には読めん」であるのに対してエイダでは「かなり古い本ね。読んでいる暇はなさそうだけど」みたいなのが返ってきて、これまた、キャラクター像を補完するようになってるとか。

 

特にバイオ4で印象に残っているのが、チャプター5-4のセーブポイントの近くにある「うごめく袋」。サーモスコープで見ると温度があり、攻撃すると動かなくなるが、中身が何であるのかは分からないしゲームの進行上も特に意味がないんだけど、とにかく「ビビらせ要素」として強烈な印象があったことは間違いない。

 

ところが最近のリベ2やサイコブレイクでは、背景はもちろんバイオ4あたりとは比べ物にならないほどリッチになっているにもかかわらず、こういった要素がなくて、ほとんどはただ通り過ぎるだけというのがとても寂しい感じがある。特にサイコブレイクは壁に掲げられた絵画とか街中の映画のポスターやなんか、かなりのバリエーションがあって興味深いのに、とても勿体ないと感じた。

 

話がかなり脱線しましたが、初代シェンムーオープンワールド性も、従来の「区切りマップを順番に」というところから解放されて「基本的に自由に好きなところへ行けるし、何をやってもいい」というシステム的なものもあったけど、毎朝イネさんから貰う小遣いだとか、それをガチャガチャで浪費したりだとか、街を歩く女の人をストーキングしてアパートの二階に上がってく所を階段の下から覗いたりだとか、部屋の一個一個がちゃんと作ってあってテンプレ使い回しがないとか、そういうどうしようもなく土着的なディティールの積み上げというのも非常に魅力的な要素としてあったと思います。

 

大げさに言えば、(当時) 最新のテクノロジーを用いてディティール豊かに再現された現実そっくりの世界で、スカート覗いたりガチャガチャ回したりというクソどうでもいいことに血道をあげるというその "意味のなさ" が世界に意味を与えていたのです。

突然現れた中国拳法の達人に父親を殺され、その仇討のために中国へ渡るなんていうのは現実のリアリティからは最も遠いフィクションの世界であって、我々のリアルは毎朝の通勤で前を走るババアの微妙に遅いチャリを追い越すに追い越せなくて軽くイラッと来たり、いつものコンビニで昼飯なんにしようかなと迷ったりしてるっていう「あまりにもしみったれた」ディティールの積み上げなわけです。

 

そういうわけで、予算規模的にも開発規模的にも、Fallout4 みたいなところに正面勝負を仕掛けても勝負にならないので、ハリウッド映画に対する小津映画のサザエさん感、というとちょっと上品に過ぎるかもしれないけれど、そういう感覚も忘れないでほしいなと思います。オープンワールドならぬオーヅーワールド。(ドヤ顔)

 

例えばさ、フィールドには犬が自律行動してて、骨とかやるとどっかへ走り去るんだけど、後を付けてくと裏の雑木林で穴掘って埋めてて、埋められた骨はちゃんとそこにあるし涼がそこから骨を掘り出すこともできるとか、あと犬がその辺でプリッとウンコすんだけど、そのウンコがちゃんとその場に残ってて、時間経過によって乾いて白くなったりとかさ、そいう「誰得」な作り込みとディティールがおれは見たいンだよ!

 

というわけで (どういうわけで)、現在形のオープンワールドの進化とはまた違った軸からの、ゲーム内におけるリアリティのネクストレベルをを見据えた記念碑となる作品になることを願ってやみませんが、インタビュー読むともしかするとホントに単に物語を展開するだけのアドベンチャーになる予感もしたりして、いろんな意味で今から完成が待ちきれない気分でございます。